684602 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

あたたかな光と相思相愛-永遠の旅へいざなう虹粒子の流れ

あたたかな光と相思相愛-永遠の旅へいざなう虹粒子の流れ

***宇宙に響き・逢う・心***

このフリーページに掲載するのは、僕がブログをスタートし始めた頃の記念碑的日記です。
右も左も分からないままブログを急遽始めてしまった当時、数週間の試行錯誤の末に、ようやく自分の方向性を確立した感慨を抱くことが出来た最初の日記でした。
文章表現も、今思えば非常に稚拙なものに過ぎず、このような文章を「表現」と読んでしまうことには躊躇いがあることは事実ですが、それでも自分にとっての旅の始まりにも似た何らかの記念碑的な日記であることは確かです。







------------------------------
響き・逢う・心  2004年11月日記
------------------------------


運命の赤い糸とよく言いますが、
世の中には不思議な現象が少なからず起こります。

不思議な現象、と書いてしまうのは学校とかでは多分というか絶対に教えてくれないであろう範疇の現象、少なくとも僕にとっては「よく分からないけど、こういうことあったなあ」という感覚を持った現象ということで、説明が上手くつかないから、そのように云々する訳なんですけれど。

いかにも例え話のように、僕の体験を書き綴ってみましょう。



かつて、ギリシャの街を歩いていた時のことです。
重たそうなバックを二つも抱えた日本人の旅行者と出会いました。
二言,三言言葉を交わして軽い会釈のあと別れました。
それから10日後くらいに同じ人と、今度はローマで出会いました。
不思議ですね^^と笑いながら、一緒にスパゲッティを食べました。


数日後、ローマで別な日本人と出会いました。
非常に神経質かつ生真面目そうな方でしたが、話してみると
非常に相手に対する気配りのある紳士といった風でした。
その方とも、フィレンチェで偶然に再会し、互いに驚きました。
何故だかスパゲッティを御馳走してくれました。


パリでは、同じ宿に宿泊していた可愛らしい女性と
何度かパリの様々な街角で偶然に顔を合わせ、互いに笑いあいました。
一緒にスパゲッティは食べなかったんですが、
同じ宿に宿泊していた他の日本人の方々と共に、夜遅くまで旅の話に花が咲きました。


そういった不思議な現象は
いろんな場所で多く経験しました。
後で考えると実際は・・・不思議なんです。上手く説明がつかない。単なる偶然ということなら、そうした偶然が頻繁に起こることの説明が上手く出来ない・・・と言い換えます。
ん??って感じです。


魔法のように、星群のような沢山の心が無意識のうちに響きあう、

いたるところで共鳴しあう、

時と場所を選ぶ余裕もないかのように、何かが唐突に触れ合ってしまう。

まさに、見えない糸か何かが存在しているかのように・・・。



一体、これって何なんでしょう?。



To be continueって感じ???

















下の文章は2004年に発信した上記日記の続きのような内容として書いた日記群の中のひとつ。






--------------------------------------------------------------------
出会いは星のように、絹擦れの音のように響きあって   2005-07-05日記
--------------------------------------------------------------------


今夜も星は生まれ

この宇宙の何処かへ

光は届けられる




誰かが心に浮かべた願い事

星雲を呼び寄せて

美しいオーロラの光を帯びながら

全ての願いが叶うようにと

女神は扉の向こうで、宇宙の地図を描き直す




いつでも無数の言葉が響き逢い木霊する、

楽天という名の星雲で

僕は今日も

また沢山の光と出会った




想いがひたむきであれば

星雲は必ず、きっと

その人のために

必要な形を織り始めるんだろう




女神は いつだって

誰かが星に願いを込めるのを待っている




宇宙の何処かで今夜も

星が幾つも

絶え間なく瞬きをしているに違いない




心が ひたむきならば 

願いは必ず、きっと

実現するんだろう




スターズ









あなたが

素晴らしい出会いや縁を持つために

或いは、自分の願いが叶うために

普段心がけていることは

一体どのようなことですか?




















*********************************
以下の文章は、2008年以降に宇宙へ想いを馳せた過去日記の幾つかをまとめたものです。
*********************************










----------------------------------------
七夕の夜に星に願いを   2008-07-07日記 
----------------------------------------


今日は七夕ですね。
星に願いを込めながら・・・って、今夜は曇り空、星ひとつ見えません(残念!)。
仕方がないので、上空に覆う雨雲のずっと遥か上にある星屑煌く広大な宇宙のことを想像しながら、
徒然気が向くままに日記を書き進めることにしましょう。
今日の日記は、宇宙に関するお話です。


天文台展示室風景から


家から車で15分ほどの場所に先日、天文台がOPENしました。
日本最大級の公開天文台です。
OPENした次の日(7月2日)に天文台を訪れて、とても驚くと共に大きな感動に包まれました。
何故なら、とても煌びやかで美しい天文台だと感じたのに加えて、これはごく個人的な話に過ぎないのですが、ここ最近に興味の対象となっていた部分、いまだ自分が踏み込んでいなかった空白の領域にパズルの欠片が自然と組み込まれた気がしたからです。
約一ヶ月前に中国古典への大きな関心が沸き起こったことに端を発し、より大きな視座での歴史への興味がスタートし始めて、
それに関連しながら他の沢山の古代文明や諸々の文化がその後に如何様に培われていったのかに対する探求心が加速し、翻ってそれ以前の原始的な生活を営んでいた人類の歩み、そして人類誕生以前の地球の状態などを、図書館や書店で、現在容易に閲覧可能な最新研究文献になるべく目を通すことで自分なりに勉強してゆく中、
探れば探るほどに、避けることの出来ない存在、いや自然と関心が向かうのが当たり前かもしれない事柄に心の視線が向かっていったのです。
それは、
---宇宙空間への関心---

前述した「空白部分のパズルの欠片」とは一体何かというと、今書いたように宇宙空間への関心に集約されますが、
もう少しだけ詳しく説明すると以下のようになります。

ここ一ヶ月の間に僕は稚拙ながらも自分なりに簡易な地球年表を作成していて、
その中に中国古典やユダヤ民族等における旧約聖書発生や他様々な民族の文化の成立の過程、
そして人類誕生以前の、気が遠くなるような時間の中における生命の進化の過程、
地球誕生までの過程を年表としてまとめていました。
しかし、何かが足りない・・・・・
一体何が足りないのだ?と考えたところ、
それは「宇宙の成り立ち」への理解という重要な部分でした。

そんな折に先日に足を踏み入れた天文台で出会った沢山の---宇宙空間に関する情報---は僕にとって実に有難いものだったのです。




これから紹介する写真は、
天文台内部の展示室にあった「時間で見る宇宙」パネル。

時間で見る宇宙

字が小さくて見えにくいと思いますので以下に記しましょう。

0秒   宇宙の始まり        
10のマイナス44乗秒  
インフレーション     -----ミクロの宇宙からマクロの宇宙へ
10のマイナス3乗秒  
光と素粒子が出来ては消える      ----光と素粒子の時代
3分   原子核(水素とヘリウム)がつくられる -----元素合成の時代
    電子が自由に飛び回っている
  ~不透明な宇宙と透明な宇宙の境~
30万年 宇宙の膨れ上がり 電子が原子に捕獲される
    暗黒の時代               -----銀河の種が成長する時代
2億年  銀河ができ始める 最初の星ができ始める
    星の内部で重元素が合成される 銀河の中で星が生まれては死ぬ 
---そして46億年前に太陽と地球が成立し現在へと至る---
(注:撮った写真の字が不鮮明なために書店で購入した資料内容と織り交ぜています。誤りがあった場合は御了承下さい)


上のパネルだけ見ても、一体どれくらい前に宇宙の始まりが起こったのか判りませんよね。
何10億年前なのか何100億年前なのか、はたまた、もっともっと遥か以前なのか?
宇宙発生から経過した時間や宇宙自体の広さもまだ確かなことは分かっていないようですが、
約137億年前にこの宇宙が生まれたとする説が、現在最も有力だとされています。
また、今年になって出版された他の専門書において約140億年前、150億年前と記されてあるものもあります。
しかし宇宙発生からの時間経過だけでなく、近い未来に上のパネルにおける宇宙の概念自体が根本から覆される可能性もあるようです。
それくらい、人類はまだ宇宙のことを殆ど判っていない、というのが事実なのでしょう。









さて話を変えて。
前回の日記の続きを書きます。

7月1日の日記(前回の日記)は、心のバランスについて綴った日記でした。
以下に引用として記すのは、そのバランスというのものが、
どのような状態の上に成り立っているのかを考える際に重要だと思える文献です。
実に重要な文献です。
少なくとも僕にとっては半端じゃなく意義深い内容なのです。
長い引用となりますが、もし仮に一読して理解出来なくても何度でも読んでみて下さい。
大きな何かが見えてくるはずですし、また、読み解く価値は十二分にあるはずです。


著名な理論物理学者のフリーマン・ダイソン博士の昨年のインタビュー記事から強く印象に残った箇所を以下に抜粋。

-----宇宙は、二つの側面を持っています。それは、「荒々しさ」と「静けさ」です。かつて人々は、地上では物質が形を変え、不規則に動きまわる一方、天ではあらゆるものは穏やかで平和であり、秩序が保たれていると考えていました。今ではそんなことはないことが分かっています。この100年で、天、つまり宇宙は、本当は荒々しい場所であることが分かってきました。宇宙は、大部分の時間は静かなのですが、短い期間非常に荒々しくなります。星は10億年生きますが、その後爆発したり、星同士の荒々しさと静けさが交代して生じるために、生命が存在するようになったのです。
生命の誕生には原材料やエネルギーを手に入れることが必要で、そのためには荒々しさが必要です。しかしその後、生命が自己を組織化するためには、平和な状態が長く続く必要があります。そして、これこそが、太陽系のもたらすものなのです。太陽は生命を維持するためのエネルギーを常に生み出しています。しかし、個々の惑星では様々な種類の荒々しいプロセスが生じています。生命にとってはあまり快適なものではなく、生き延びるためには進化する必要が出てきます。太陽と惑星は、生命に好都合なように出来ているのです。

(中略)
こうした重力の二面的作用こそ、生命の誕生のみならず、宇宙のあらゆる発展の原動力なのです。-----





宇宙の働きも人の心の働きも、その性質はそんなに変わらないものなのかもしれません。

バランスが良いというのは決して、ただ、やみくもに、静かにおとなしく何事もなく平穏に前に進むことが出来ている状態を指すのではないということが、上に引用した貴重なる二つの文献を読むと理解出来るような気がしてきますよね?。
おそらく、心地良さばかりでなく、時に多大な不都合さや激しい感情の摩擦を伴うことがあったとしても、それでも且つ「流れ」と「リズム」に乗って前に進んでいる状態を指して、
---生きていることのバランスが取れている---というのでしょう。

簡単そうで、実はそんなに簡単なことではありませんよ。
だって人間は日々、感情の揺れを伴いながら安定と不安定の狭間で生きている存在なのですし、
そもそも人間が皆、誰もがバランスよく、いつでも穏やかに生きてゆけるのであれば、
国境を越えて古から現代に至るまで様々な思想や哲学、文化が伝承され続けていることの意味もまた存在しないのですから。
昨日とても機嫌の良かった誰かだって、今日は激しく機嫌が悪いなんて日常茶飯事。
この日記を読んでくれている「あなた」だって、きっと同じことでしょう。
自分のことを考えてみれば、よく判るはずです(^^)




銀河鉄道の夜
http://item.rakuten.co.jp/neowing-r/gnbd-7403/













---------------------------------------------------------------
宇宙からの贈りもの ~星のかけらをあなたに~ 2008-07-16 日記 
---------------------------------------------------------------


インタビュアー ---生命はどのように誕生したとお考えですか?

ダイソン ---もちろん、簡潔に答えるならば「わからない」ということになります。どんなドラマがあろうと、おそらくはうまくかくされたのです。おそらく、どこか私たちの目にふれない場所、つまり海底や宇宙のちりの雲などで、小さな出来事があったのでしょう。

インタビュアー ---生命が地球以外の宇宙のどこかで生まれた可能性もあるとお考えなのですか?

ダイソン ---ええ。たとえば、何らかの衝突によって火星から弾き飛ばされ、何千年もの間、宇宙をただよった後に地球に落ちたと見られる岩石がいくつも見つかっています。そんな岩石の中に小さな生物がいて、惑星間を生きのび、地球で息を吹き返したということだって、十分に考えられるのです。


以上4行の質疑応答内容は、フリーマン・ダイソン博士の昨年のインタビュー記事からの抜粋です。
そして、次に引用するのは『宇宙の地図帳』という本からの文章の一部。


---人間の身体は、じつによくできている。そんな人間の身体はすべて、宇宙にある元素を素材にしてつくられている。では、元素は宇宙でどうやってできたのだろう?
(中略)このように何度も何度も星の輪廻転生をくり返した結果、宇宙にさまざまな元素が生み出されたのだ。
生命の素材が宇宙にある物質だということはわかる。しかし、物質たちがどう組み合わさって、生命になりえたのだろうか。それはいまだ謎のままだ。
---
(『宇宙の地図帳』縣秀彦著・本文中より抜粋) 
http://item.rakuten.co.jp/book/5039975/



星空



あなたは次のような言葉を聞いたことがありませんか?

「人が宇宙のことについて知っているのは、全体のうちの4%に過ぎない」

おそらく何処かでこのような言葉や話を耳にしたり、本で読んだことがあるはずです。
これは有名といえば有名な話なのですが、実際のところ、その4%という数字が何を論拠に導き出された数字なのかまで知っている人って多くはないかもしれません。
どこかの学者が適当に、
「だいたい4%くらいなんじゃないかなあ、いや、5%くらいかなあ」
なんて、その時の気分ではじき出した数字ではないのです。
きちんと天文学的に裏づけされた根拠があるようなのです。

それは一体どういうことかというと?
人類が宇宙を理解する目的で行う調査方法というのは、主に光や電波等の電磁波による測定調査に限られるのですが、
そうした観測方法では、宇宙空間の「約4%」しか計測が可能とならないからです。
僕達は現在、どんなにあがいても、宇宙の中の、たった4%しか理解出来ないという事実。
宇宙に関する様々な専門書や雑誌の類に目を通せば通すほどに、その事実を驚きと共に認識せざるを得なくなります。

その約4%にあたるのが、僕らがよく知っている、太陽を中心に回っている地球や木星や土星を含む沢山の惑星と、それらを取り巻く沢山の衛星---つまり太陽系の中に存在する沢山の天体。
それに加えて、アンドロメダ大銀河、銀河系・・・エトセトラetcの中の、
---目に見える部分と観測可能な部分---。
それらを全部合わせても、たったの4%。

では残りの96%は一体何なのかというと?
ダークマターや暗黒物質と呼ばれる、いわゆる---謎そのもの---。
人類が試み続けている如何なる観測手段でもってしても測定が困難を極める、もしくは測定が不可能な領域が、宇宙の中の96%という、ほぼ大部分を占めているわけです。


前述した「人類が理解しているとされる4%」の中に含まれる空間や諸々の存在や物質にしても、普通に暮らしている僕らにとって、殆どが謎だらけ。
確かな手ごたえにつながるものなんて殆ど無といっても過言ではないでしょう。
地球上で、肉眼で或いは天文台で望遠鏡を用いて夜空に浮かぶ星空を眺めたり、
あるいは高度な技術と莫大過ぎる国家予算を伴って宇宙船で他の惑星や衛星に近づいたり、様々な観測手段でもって「遠くから推測」しているに過ぎない。
実際に手に取って感触を確かめたりすることが出来るものなど、何一つないのです。

何一つない・・・・・?

いえ、ひとつ忘れていました。
僕らと宇宙とを確かにつなぐ具体的な、手で触れ、目で見ることの出来る存在のことを。
それは、「隕石」です。

これから今日の日記に「隕石」についてのお話を書いてゆきましょう。



隕石の顕微鏡写真
(隕石の偏光顕微鏡写真)



生命の起源も、生命自体も、
宇宙の成り立ちも、
僕らは大して何も、多くのことを知ってはいません。高名な学者達でさえ実に4%程度のことくらいしか理解していないというのが現状です。

しかし、それでも「殆ど何も知り得ていない僕ら」が住む地球に、宇宙からの確かなメッセージが届くことがあります。
太陽風が姿を変えたオーロラのような美しい、だけど手に触ることが出来ない、おぼろげな色彩の存在等を通じてではなく、具体的な姿形を伴って、宇宙からのメッセージが届くことがあるのです。

次に紹介する素晴らしい本の中に、そのことが詳しく書いてあります。


『隕石 宇宙からの贈りもの』島正子著http://item.rakuten.co.jp/book/976723/


これは先日に図書館で出会った本。
難しい言葉が羅列する専門書なのかと思いながら本を開くと、
実に詩的な表現で且つ分かりやすく文章が綴られていることに気づき、魅了されながら借りてきました。
この本の中から特に強く印象に残った素敵な文章の一部を、以下に抜粋・引用します。


-----光と音を伴って、時には派手に、また時にはひそやかに、天からやってくる隕石には、宇宙が始まった時からの情報がぎっしりつまっている。これまでに、この隕石がもっている情報を解読しようと、科学分野のあらゆる知識、技術を総動員しての取組みが行われてきた。-----
(『隕石 宇宙からの贈りもの』より抜粋)


この本によると、地球に落ちてくる殆どの隕石は、
46億年の間、宇宙空間を漂っていた物質のようなのです。例外もありますが、その例外にしても何十億単位の年齢が隕石に刻まれています。
説明すると実に長い話になりますし、別枠の日記に書いてもまだ足りないほど長い説明になるので敢えてこれ以上の説明は避けますが、
隕石の年齢に関するお話ひとつ挙げただけでも、とてつもなく壮大なロマン・宇宙の真実の探求へと、人を駆り立ててやまないであろう凄いお話なのです。
興味を覚えた方がいましたら是非、
上に紹介した『隕石 宇宙からの贈りもの』を読んで下さい。


-----空から石や鉄のかたまりが音と光を伴って落ちてくれば、昔の人ならずとも驚きあわてることでしょう。拾ってみればどうということのない石であっても、昔の人たちが、隕石を神の使い、あるいは、生まれ変わりと信じ、神社、仏閣にご神体または社宝として祀ったということも理解できるような気がします。
実際に、今日のように種々の科学機器が発達して遠隔操作によって地球外の状況が観測できるようになり、人類が地球外に飛び出していけるようになった現在でも、隕石は地球外の様子について、その創成の昔から現在までの様子を伝えてくれる貴重な資料です。いい換えれば、隕石はいまでだに私たちが手にとって科学的に調べられる唯一の地球外物質といえます。
-----
(同じく『隕石 宇宙からの贈りもの』より抜粋)











----------------------------------------
旅人は星を数える   2008-07-29日記 
----------------------------------------

世の中の流行り廃りは無数にあるけれど、
子供の頃から何も変わらずに、皆が見つめ続けているものがあります。

それは、星空

山や川などの形や海の大きさは、その時代時代の移り変わりで絶えず姿を変えてゆきますが、
星空だけは、なにひとつ変わらず、
いつでも僕らの頭上で煌いている。

正確には地上から見える星空の様相だって、日々、千年単位で僅かながらも変化しているらしいのですが、
でも、それは人の一生といった短い時間のスパンでとらえれば、
---何も変わっていないに等しい---。



何千年も前にエジプトでピラミッドを作っていた人々が見上げていた星空と、
今、僕らが見上げている星空には、
人が見て分かるような変化などありません。

きっと恐竜が生きていた太古の時代よりも、もっと古い時代から、
星空は殆ど何ひとつ変わらずに、現代に至っているのでしょう。


人がどう動こうと、どう変わろうと、
100年後の星空は、100年前の星空と何も変わってはいないものです。

社会がどんな風に変化しようと、スピードばかりが加速しようと、時に、人々の心のありようが殺伐となろうとも、
砂漠を旅する人は、星を数えます。

だから、僕らだって人生に迷わないように、
日常生活の中で当たり前と感じているかもしれない時間の感覚とは別な時間の感覚を、
内なる羅針盤として持つことは大切なことなのかもしれません。



星空






都会の雑踏や、職場の喧騒から遠く離れて、
人間が作ったものではない自然の風景に身を置くと、
静寂に包まれながら、普段の生活の中で忘れかけていた「何か」と出会えるような気持ちになることがありませんか?

その何かとは、
きっと、
海の浜辺で聞こえてくる波の音だったり、
川のせせらぎだったり、
森の中で樹々の間から差し込む光だったり、
虫の声だったり、
花や草原の香りだったり、
夜空にどこまでも広がる星屑の煌きだったり・・・・・。

それは人の数だけ感性の数だけエトセトラetcに存在するに違いありません。


そうしたものに手を伸ばしてみることで、人は、
ゆったりとした、永遠にも似た時間の流れに、
僅かばかりであったとしても近づくことができるのだと思います。

そして「命」にとって本当に大切なリズムを取り戻すことができるのでしょう。




しかし都会に住んでいて仕事に追われ、星空を眺めるために田舎に向かう時間など取れない人もいるかと思います。
現代において実は、そうした人達の方が圧倒的に多いかもしれません。
そのように、日々を慌しく仕事と時間に追われている多くの人達にとって、
本当は当たり前のように皆の頭上で煌いているはずの星空を眺めることは難しいなのだろうかと自問すれば、そんなことはないような気がしてきます。

僕は東北に住んでいます。仙台の中の、とても田舎な場所です。
なので夜に星空を眺めれば、曇りの日をのぞけばプラネタリウムのような満点の星空を眺めることができます。
でも、これは大自然に住んでいる人にだけ与えられた特権なのでしょうか?

僕はそうは思いません。

東京でも星は見えます。
きっと、ニューヨークでもロンドンでも、どこの大都市でも。

あなたが願えば、
あなたが望めば、
星は誰にでも、瞬きしてくれるはずです。

「あなたが、幸せでありますように」と、美しい光を輝かせながら。






時には、砂漠で星を数える旅人のような気分で、

あなたも静かに星空を眺めてみませんか。

素敵なことが沢山、起こるかもしれませんよ♪



















© Rakuten Group, Inc.